私が経営コンサルタントとして独立した理由

 

なぜ私が会社を辞めて独立したか?

私は平成元年に大学卒業と同時に当時東京証券2部上場の

自働車部品を主に製造、販売する企業に就職しました。

 

その後、26年間その会社で会社員生活を送ってきました。

 

最初に配属された部署は意外にも経理でした。

 

なぜならば私は会計の専門家ではなかったからです。

(簿記3級は持っていましたが)

 

会社の意図は最初にお金の勉強をさせてから,

営業に配属させる事だったようです。

 

3年間の経理を経験し、自働車部品を扱う事業部へ

営業として配属されました。

そこから21年間は自働車メーカーを顧客としてモデルチェンジ時期から

逆算した自社商品のプレゼンと搭載契約、

プロジェクトリーダーとして立上り推進を繰り返して来ました。

正確に数えていませんが、担当した新型車は100車種以上になると思います。

 

20代の頃は未だバブルの余韻があり世の中は明るく

個人的にも楽しかったです。

 

会社がテレビの取材を受け、番組に出演したり

池袋のサンシャインビル59階を貸切で行われた年末の忘年会では

総合司会をしたり、多分その頃が私にとって一番輝いていたと思います。

自働車王国 愛知県への赴任

 

30歳となった当時、トヨタ系とのプロジェクトが大きくなることから

愛知県に拠点を設けると言う事で設立メンバーとして赴任をしました。

 

関東以外に住んだ事がなかったため、最初はプライベート含め

期待と不安が大きかったですね。

 

仕事面では試練の連続でした。

 

当時の上司と私とで前線部隊みたいにポツンとおり、

本隊のある本社は東京と離れており、

PCも携帯も普及していない時代にプロジェクトの大きさの割には

非効率で支援が受けられない境遇で、毎日帰宅は午前様。

 

土日出勤は当り前の毎日が2年間くらい続きました。

 

若かったのとプロジェクトの重大さから耐えられたのだと思いますが、

今なら完全ブラックな働きをしていたと思います。

 

そんな中、上司が変わったのとあまりに私のキャパを超えた仕事量に

問題を感じた新しく赴任して来た上司が、

2名の増員を本社に掛け合ってくれました。

 

そこから何とか平常に戻りました。

 

ですので私は3人分の仕事をしていたことになります。

 

そこから安定的にプロジェクトも進行し売上も拡大し、

プライベート面でも結婚出来るようになりました。

 

長くなりましたので、この続きは次号で書きます。

 

今回も読んで頂き感謝致します。

 

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投稿者プロフィール

丸山 一樹
丸山 一樹
丸山未来経営研究所(経営革新等認定機関) 所長・非特定営利法人 日本経営士協会 首都圏支部役員 /大手自動車部品メーカーを経て独立。中小企業の社長に「ビジョン」の言語化と「キャッシュフロー経営」を用いて実現を後押しする。
社長の「社外NO2」の役割を新入社員の給料以下の報酬で意思決定に関わるキャッシュフローコーチⓇとして活動中。